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雨にも負けずもてぎ決勝を観戦!がんばれ中上貴晶世界一の舞台へ

世界を転戦しながら全18戦が行われるmotoGP世界選手権シリーズ。

その第15戦目となる日本グランプリは、今年も数々のドラマを残して閉幕しました。

生で現地で、はたまた録画で、皆さんもうご覧になりましたか?

オーストラリアのフィリップアイランド・マレーシアのセパン・そしてヴァレンシアと残り3戦となった今シーズンのmotoGP。

上位選手たちのタイトルの行方が気になります。

でも今回は、分厚い世界の壁に挑戦する日本人選手たちにもっと目を向けていただこうと考えました。

motoGPは世界

全クラスに渡って繰り広げられた気の抜けない場面の数々。

日本国内だけでなくその一瞬一瞬を、世界の人々と一緒になって歓喜と共に見守りました。

motoGPの熱い熱い戦いは、国際映像で全世界に配信・放映され、各国のファンを魅了します。

GPライダーたちの母国は、欧米・南米・アジア・オセアニア。

最近ではアセアンカップも加わって、アジア諸国のライダーの活躍もみられます。

写真ではカッパを着ているのでわかりずらいですが、観客席にも、そうした多くの国から集まった外国人の姿がありました。

恐らく、自国の英雄たちの活躍を間近で見るために海を越えてはるばるやってきたのですね。

話す言語も様々で、恐らく普段日本でこれだけ色々な外国人を一気に見かけることもそうはないだろうと思うほど、ダイバシティー感がありましたよ。

世界の中の日本選手

筆者はアメリカのテキサスでmotoGPを観戦したことがあります。

数は多くないですが、moto2で活躍する中上貴晶選手を応援するボードを持った人や、日の丸を振る人を現地で見かけました。

moto2が始まると「NAKAGAMIがカミカゼの追い上げだ!さぁそれをどう駆逐するんだ!」という場内実況。

日の丸を振っていた人たちも、中上選手へのちょっとしたヒール扱いに、苦いアウェー感を感じたことでしょう。

それでも、中上選手のオーバーテイクがあれば、スタンディングオヴェーションをする筆者。

その時、何となく「国」というものも感じましたし、選手たちもまたグローバルな中で背中に大きなものを背負って走っているんだなぁと実感しました。

母国の応援を力に

言うまでもなく、中上選手にとってもてぎは母国グランプリ。

ロッシカラーがほとんどの海外の観客席とは違って#30(中上選手のゼッケン)や紅白のチームカラーに中上選手を応援するボードや旗の数が多い環境。

時折イカ焼きなどの串ものを焼く匂いがこの雰囲気に混じっているのが、きっと日本選手だけを特別な気持ちさせていたのではないでしょうか。

13日の練習日から降り続いた雨は、15日の決勝当日になっても雨足を弱めることはありませんでした。

さらに気温も14度を下回る状態。

選手達はもちろん、現地で観戦した人にとっても厳しいコンディションだったと思います。

しかし、そんな天候にもめげないハイレベルな激闘ぶりに、思わず寒さを忘れるほどの素晴らしいレース展開だったのも事実。

アウェイ感はないものの、きっと背中に背負うものの大きさが、いつもに増して大きく感じていたのではないでしょうか?

決勝ではトップに立ち、このまま逃げ切るものと思われましたが、中盤では徐々に後退。

結果6位に甘んじましたが、そのチェッカーは場内の大きな拍手と共に振り下ろされました。

 

レース後パドックでインタビューに応えた中上選手は、

「苦手な雨での決勝、逃げ切りを狙ったのですが後半は何度か集中力が切れかける瞬間もありました。

しかし走っている最中に自分のゼッケン30のボードや応援してくれる人の声援がいつもより間近で聞こえて、それが最後まであきらめない力になりました」

と、ファンの応援の応援の大きな力をかみしめて実感したようです。

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日本選手を国の英雄に

中上選手は、moto2で6シーズン目を戦っていて表彰台経験は12回、2016年のオランダでは優勝を飾っています。

来季からのmotoGPクラスへの昇進が発表されました。

観客席でも最高峰クラスmotoGPのスターとが迫ると他のクラス以上の緊張感を感じ取ることができます。

そんな世界一の舞台で一層の注目を浴びることになる中上選手。

「レースはあまりよくわからない」という人でも、その名前だけでも知っておくといいでしょう。

1990年代後半ごろ筆者がみたテレビで、海外の街角でインタビューしながら日本の知名度がどこまでなのかを探る番組をやっていました。

イタリアの片田舎で「貴方の知っている日本人は?」と聞かれて初老のおじさんが答えたのは「Tadayuki Okada・Noriyuki Haga」

つまり当時の日本人GPライダーの名前です。

当時は日本人GPライガーの黄金期とも呼ばれていましたから、ヨーロッパでは相当な人気だったのですね。

ただ、日本語のテロップで(オートバイレ―サー)と書かれていたのが気になって、『なぜこのテロップが必要なんだろう?』と思ったのを未だに覚えています。

つまりそれだけ、世界では日本で考える以上に、GPレーサーは世界の人の記憶に残るということなんです。

GPライダーはある意味国を背負い、母国の人々から英雄としてたたえられる選手も数多くいます。

例えばイタリア人にあったなら、バレンティーノ・ロッシの名前を出せば10分は場が和むという具合。

日本人に会ったらイチロー意外にだれを?

と、外国人が例えば中上貴晶や長島哲太の名前を出したとき、日本人としては「おもてなし」として少なくとも5分は和ませて欲しいと思います。

moto3選手将来へ期待

250㏄単気筒で争われるmoto3クラス。

ここには10代の若いライダーたちが、やはり世界から参戦しています。

欧米ではモータースポーツを家族単位で週末に楽しむことも特別なことではなく、そうしたライフスタイルを受け入れる環境も充実しています。

こうした環境の中で幼少期からバイクに慣れ親しんできた海外選手たちの存在は、日本人選手にとっての「世界の壁の厚さ」となるのかもしれません。

そんな中、日本でも幼少期からレースに参戦し、人生のほとんどをレースと共に歩んできたのが、佐々木歩夢・鳥羽海渡・鈴木竜生という3人の日本人moto3選手たち。

佐々木選手・鳥羽選手は共に16歳。

鈴木選手は3人の中で最年長といっても19歳というフレッシュな顔ぶれです。

全日本選手権での戦績から世界への参戦という流れもある中、「イデミツ・アジアタレントカップ」やmotoGPルーキーズカップなど、

若い才能をいち早く世界で昇華させようという環境が整備され、彼らは早くもそうした舞台で「世界」を経験し切磋琢磨してきました。

GPクラスのスター選手たちもmoto3⇒moto2と勝ち上がってきた選手がほとんど。

こうしたルーキーたちが、やがてスーパースターに大化けしていく過程を、シーズンごとに追うことができる。

それもmotoGP観戦の楽しみの一つだと言えるでしょう。

とかくGPクラスだけに目が行きがちですが、こうした下のクラスで日本を背負って走る彼らの頑張りも、ぜひ熱を入れて観戦してほしいところです。

 

まとめ

先日筆者は前橋で開かれた業界団体のバイクラブフォーラムを取材しました。

このとき、登壇された国交省の自動車局の方が、

「バイクは日本が世界に誇る産業商品、さらに世界で需要を増やすことでMADE in JAPANをもっとアピールしていきたい」

そんな風にバイクに対する期待を語っていました。

motoGPでは利益のうちの大部分をこのGPマシンに投じるメーカーも少なくありません。

それはやはり、motoGP以上に世界へ自らの技術を示せる舞台はないと確信するからでしょう。

世界の人々の注目を一気に浴びるmotoGP。

バイクはもちろんですが、そういった工業製品の知名度だけでなく、外国人にあこがれを持たれる人物を、この舞台からもっと輩出してほしい。

皆さんもそう思いませんか?

motoGPで日本人選手が活躍すること。

きっとそれはモノ以上にJAPANをアピールできるはずです。

moto3からmoto2に日本人選手が昇格できるかどうか?

長島選手の今後の活躍は?

そしてあと3戦から来期以降、最高峰クラスmotoGP入りする中上のポジションはどうなるのか?

沢山の応援で、彼らをトップ争いの中にねじ込んでいきましょう!

そして、いつもは画面で観戦という方。

次の母国グランプリは是非、もてぎで世界の人と一緒に観戦を!

海外からの観客に混じって、家の中では味わうことのできない感情と共に、声を出して応援したくなりますよ。

 

それが選手たちの力に変わるわけですから。

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